昭和41年01月17日 夜の御理解



 福岡の文男先生が京都から帰りましてから、お礼、お届けに出て参っておりました。夕食でも一緒に頂きました。色々話しております内に、こう云う事を言うんですね。本当に親先生と、こうして、まあ十五年間まあ綿密に言うたらもっと長いでしょう。一緒にここで信心の稽古さして頂いておるが。親先生ばっかりは、もうどこまで深いか解りません。てこう言う訳けなんです。
 まあ言うなら、悪う言やあ、掴み所がないと言うのかも知れませんですね。どこまで深いか解らない。私しゃ、それを聞いて、どこがそんな風に深いとじゃろうかと自分で思うた、ですねえ。しかし、私思いますのに、矢張りあの底がないと言う位い深い事はないと思うんですよ。だから限りがないのですよ。おかげでも限りがない、いわゆる向うの方は開けっぱなし、もう限りがないのです。
 どこまで行ってもどこまで行っても尽きぬ深さにおいては、どこまで行っても、どこまで行っても、その深さと言うのはどこまで深いか解らない。私しの正体と言うものを、掴む事が出来ないと言う訳なんですよ、言うならば、はあ先生こげな風な人だと思うけん、ここば掴んでみると、実際は反対の方じゃったと、言う様なこれを、はあ、あの久保山先生なんかもよくそんな事、言われるんですけど。
 一緒にこうおって矢張り、掴み所のない人だなあと、こうまあ言う事になる。それがまあ文男さんが言う、まあどこまで深いか解らんと言うのはそう云う事らしい。まあ、誉め言葉やら、悪口やら解らんのですけれど、それがどう云う様な事から、そう云う様な事を言うかと言うとです。この13日会の大事な会合に自分が京都行き、留守で留守をしとりましたもんですから、あの時の模様を福岡で聞いて来てる訳なんです。
 結局、私の学院行きの話しがまあ中心で、あんなに遅うまで皆さん協議されたんですけれども、結局まあ結論は願書を出すと、そして親先生も行く事になり、又、皆んなもやる事になった訳なんで御座います。ところがその後において、まあ色々皆さん帰ってまあ様感じられたんですね。成程まあ秋永先生が、もう本当にまあ中々表現が上手、もう久保山先生も一生懸命で言われるけれども、久保山先生はもう絶対やらん、どう言う訳でやるかという一点張り、秋永先生は、やらんでもいいんですよと。
 けれどもこう言う風に、例えば教務所の方が出て来ておるのに道筋、筋道を立てて、言うて来ておるのにです。今更やるのやらぬのと言う事ではないと、又あちらの腹には、こういう腹もある様なと向こうの腹も割ってからの、話しをされたらこっちも、唯、やらんやらんの一点張りじゃ、いかんと言う話しだったんです。それが中々お話しも、先生の方が、中々もうその皆んなが、やりたくないのだけれども、まあ、やる事に結局はなってしまった訳ですね。
 その後においてから色々お話し合いが皆さん、寄り寄りあってるんです。しかしどんなに考えても、こりゃしかしやっぱやれないと言う事になって来たんですね。大体ここ一両日の話しは。例えば一つなあにもなかった白紙にして考えて見れば一番分かると言う訳です。例えばそんなら善導寺の親先生が私しが願書を持って行った。願書を御覧になった所が願書は変わらないのだけれども、いわゆる診断書を御覧になった所が。
 こういう病気もあった、こういう病気もあったと、しかもその一番致命的なのは、糖尿病であったと言う事。これは、他ではその、集団生活なんかでは、とてもその養生が出来る筈がない、食生活以外に養生がないのだから、この一点に縛つただけでも親先生この病気があるのにあたし共がどうしてやるかと言う事になった。そこで、例えば、今朝当りから熊谷さんなんかは、婦人部総代でしょうか、みどり会の人達でしょうか、寄り話し会ってその松村さんの真似する訳じゃないけれども。
 私し共にも、ただその表現が出来なかっただけで、そういうものがあったと。だから交替で御本部参拝にさして貰うとこう言う。もううつり変わりにお参りさせて頂いて、この事実を金光様に御聞き届け頂いてから万事おくり合わせを頂きたいと言う様な願いをもっておりますと言うお届けがある様な積極的な事になって来た。先程も、文男先生が改まって、私し、先生一言もう一遍、私の言い分を聞いて貰たい事がある。
 なんですか私しに改まって。どんなに先生考えて見ても考えて見ても親先生をやっぱり御本部にやると言う訳にはいけませんとこう言う。あの時秋永先生からああやってまあ、言われれば、ま私も、そのそれに対してからよい言葉も知らなかったし、それに又先生の言われる事を打ち消すだけの話しも出来ませんし、けれども考えて見れば見る程にやれない。あん時にその話しを私が文男さんにしましてから、そん時皆から声がそういう話しがあったんだ。大体そんなら親先生は一体どうですかとこう言う。
 私も本当言うたらね行きたくないけれども事ここに至ったら行く、行くからには本気できよまりに行くんだと、こう私は言うたんだとこう言うたんですけど、実際を言うたらですね。私の心の中にはそうじゃないのです。行きたくないと言う様なあれかと思うと又場合には本当に心の中にですね。今度学院入学させて頂いてからの事を思うと、これがなにか楽しゅうなる位に色んな事を、想像するだけで楽しい事があるんですよ。私の心の中には、ですからそのそういう心と、こういう心が。
 私の心の中にあると言う事は、言うならばどうでも良いと言う事になるのですよ。それをこんだ合わせますと、だから私はどうでも良いんだと。問題はあなた方任せなんだと。あなた方任せなんだと。そこに皆の信心を何かお鍛え下さるものを感じるんですけれども、そのどうでも良いと言うそこんところがですね。いわゆる底がないと、文男さんなんかが言うところじゃないじゃろうかと私は思うのですよね。そんならこれは皆さんでもそうでしょうと思います。
 私に接近すれば、接近する程これはもう二三年前の話しだった。中野さんの姉さんの恵美子さんが佐田さんが、あの大怪我を致しました時に入院中に御夢を頂いたんです。御夢の中でも、佐田さんが、この単車で行きよってから向こうの岩に頭をもっていって頭が、ザクロのごと割れた。はあもう、どうしようかと言うて、その主人をひっ抱えながらです。その御広前に、言わば走ってまあ側にこうまあ御広前があってそこで、親先生がこう厳然と奉仕してござったとか、親先生、大変が出来ました。
 どうしましょうかと言った所がですね。その、先生がその私ちょっと言葉忘れましたが、もうそれこそ、なんかゆらゆら掴み所がない。そん時その自分が言っておる事がですね。もう親先生ばっかりはどうしたお方じゃろか、「ひょうたんなまずのごたる」と言う所で目が覚めたと言うのです。確かに、瓢箪鯰の様な所があるんですね。瓢箪鯰と言うのは、昔の諺の中にあるんですね。瓢箪鯰、瓢箪鯰の絵があります。
 昔の絵が瓢箪でその鯰を掬うておるんです。これはもうすべすべするのです食われる筈が無いと言う、言わば捕み所がないと言う表現なんですね。それでいて、まあ、おかげ頂いておったといった様な御夢だったと思いますけれども確かに、私自身そう云う様な所がある様に自分でも思います。けど、その様な私しがそれをですね。私しがわざとそんならそうしておるかと言うとそうではない。私しの心の中には、何時も今度の事でもですたいね。今度の事でもどう云う事かと言うとです。
 行きたいと思う時もありゃ、行きたくないと思う時もある。まあはっきり言葉で言うならば、もうとに角行ってから、あちらの事を思うただけでも心が楽しゅうなる様な事があるかと思うと、又行きたくないと言う様な気持ちもある。だから、それというのもうならそれをそんなら、本当の事はどうかと言うたらどうでも良いと、こう表現、どうでも良いでは皆なにその合点が行かんから、そん時の気持ちの強い方を行きたくないとか、行きたいとかこう言っておる。だから、中々掴み所がない。そう言う事が私は、この深さと言うのじゃなかろうかとこう思うのです。
 私共がですね。もう本当に生きても、死んでもいよいよ、極端な事はそげんなって来るんです。一生懸命、そらもうしだごだな意味合いじゃないです、神様が御召しになるならば、何時でも言わば召されてええと言う覚悟です。と言うてそんなら死にたいのですか、いや死にたくはない。だからここら辺の所がですね。私し信心で段々培かわれている所の、深さと言うのではなかろうか、言わばどうでも良いと言う境地なんです。
 信心と最高のまあ、私しの知りえておる所で、最高の境地だとこう思うのです。それが人が見て言うと本当に、掴み所が無いと言う事になったり、もうどこまで深さがあるやら、解らんと言う事になったり。その印がです。矢張り限りのない底のない程のです、矢張りおかげと言うものが無尽蔵に無限に頂けて来ると言う事に、なるのじゃないかと言うふうに思います。同時に私は思うんです。
例えば椛目の中に、もう本当にあの行って貰おうと云う事に、もう腹を決めておる人、けどもどんなに考えても、どんなに考えても、親先生は御本部には今度はやられないと、それは御造営だけの事ではない。親先生の体の事を思うただけでもこれだけは、やられないと言う人と、その両方が、あっていいんだと、私は思うんです。
 その二つの中から、きっと良い答え、良いものが生まれて来るに違いない、こう言う風に、私は思うておりますけどね。さあ皆さんは、どちらの方に思いをよせておられるか知らんけれど、皆さんの信心の上においてもですね。本当言うたらまあどうでも良いと言う事になるのがです。自分の事じゃなかけん、どうでも良いと言う様な事でもしあったとするならこれは、あなた方は大変冷たい方だと言う事になるですね。
   どうぞ。